2025年 賀正&人の名前をブログに入れることについて

あけましておめでとうございます。昨年から今年にかけての年末年始は12/25と1/1が休みだった以外は普通に仕事でした。スマ納めの振り返り記事と2024年の振り返り記事を書いてバタバタしていたらいつの間にか年を越してしまったような感じで年越し感が全くなかったので、来年は同僚に倣って有給を取りたいと思います。こっちの方が有給が多いとはいうけれど祝日は祝日の嬉しさがありますよね。日本がちょっと羨ましいです。 さて、今年もやりたいことリストを書いていこうと思います。やりたいことリストの達成率が悪くて謎に落ち込んでしまう時もありましたが、「やるべきこと」リストではなく「やりたいこと」リストなので気軽に取り組んでいきたいですね。ついでに自分のデスク構成とかも書こうと思ったんですが、新たにメンバーに加わるはずのNomad[E]が一向に届かないので今回は諦めました。また次回。

2025年 やりたいことリスト

  1. 墨とPathをちゃんと続ける
  2. 3箇所旅行に行く
  3. Webサイトを作り直す
  4. カンファレンスなどの記録をなんらかの形で発信
  5. ブログをこまめに書く(年4くらい)
  6. スマブラコミュニティ大会デザイン参加を1回
  7. フランス語を真面目に勉強
  8. なんらか作りかけの書体を完成
  9. 海外から投資をする方法を探す
  10. Starfieldをプレイ
  11. Instagramをなるべくがんばる
  12. Cavalryをがんばりたい
  13. 日本から仕事もらえたらいいな〜
  14. 運動する
  15. 卑屈を直す
  16. 偏見をなくす

なんか長くなっちゃいましたね。1はそのまま、 墨とPath をちゃんと続けて、ワークフローなどを整えていきたいと思います。すでに第二回は収録済みで、今月か遅くても来月には出せたらなと。今回はAuditionで編集予定ですが、今後はProToolsなども試しながら編集ソフトを比較・検討していきたいと思っています。質問などがある人は マシュマロ まで。あと、 感想いただけだけると二人ともめっちゃ喜びます 。墨とPathのDiscordサーバーにはエゴサチャンネルがあります。人を巻き込んでいる以上ちゃんとやっていきたい。第一回の滑り出しは好調で嬉しいです。

去年は結婚式で日本に1週間帰省したり、引っ越しとその後生活基盤を整えたりといった出費が重なり、せっかくヨーロッパにいるのにあまり旅行ができませんでした。幸いフランスは労働法の都合上日本より有給が多い上比較的自由に使ってもいい空気感なので、積極的にフランス国内やヨーロッパ諸国で旅行をしていきたいと思っています(その分祝日は少ないわけですが)。3箇所といってもすでに2箇所は決まっていて、3月の Fontstand Conference でオランダのハーグに、4月の ATypI 2025 でデンマークに行こうかと。もう一箇所はスイスとかに行ってみたいですね。あ、でも2025年はEVO Franceがニースでもあるな…まあとりあえず、いろんなところに行こうと思います。

続いてはWebサイトの作り直し。これも去年から引き続きですね。自分の今のインターネット振る舞いの欠点として、 何をやっているのかいまいちわからん という点があります。書体はいくつかかろうじてこのサイトに載っていますが、詳細ページなどはなくタイプテストができるだけ、そしてグラフィックやWebなどはTwitterから引っ張り出すような形になってしまうのですが、引用RTだったり好き勝手画像を呟いているので埋もれている状態。今後書体デザイン以外のことをやっていくためにも,全ジャンルの制作物をまとめた包括的なWebサイトをもう一つ作る予定です。墨とPathで Astro をある程度勉強できたし、今度こそリベンジしたいところです。 また、2024年の振り返りを書いていて改めて感じましたが、流石に今のWebサイトのHTML直打ちブログは面倒臭すぎるので、ちゃんと Sanity などのCMSを取り入れた形にしたいと思います。これは次のやりたいことにも関連してくるのですが。

先ほど述べた通り、今年はFontstand ConferenceとATypI 2025に行きたいと思っていますし、もしかしたら他のカンファレンスにもいくかもしれません。そういったカンファレンスにはだいたい日本人は5人いたら多い方で、日本から来るのは大変だと思います。かつ、日本で知られている書体デザイン関連のカンファレンスというとATypI、Typograhics, TypeCon, BITSあたりだと思うので、こっちで行ったカンファレンスを何らかの形でレポートというか、体験を残していこうかと。方法に関してはVlog形式かブログ形式にしようと思っています。「広める活動」は今までもやってきたとは思いますが、どうせならこっちにいるからこそできることをやりたいと思った次第です。自動勉強会は一人で色々やるのが結構大変なので、畳んでしまうのもありかもしれません。そのために、今はOsmo Pocket 3を買うか検討中。8万かあ… そしてWebサイトを作り直してブログがより簡単に書けるようになったら、よりこまめにブログを書いていきたいなと。方向性としては2つで、何らかのイベントとか帰省を備忘録的に記す形と、書体やタイポグラフィの意見や知識を共有する形で考えています。前者に関しては、2024年の振り返りを書いて5万字を超えてしまったあたりでこれは良くないと。そもそもこの記事の前の記事が2024年の賀正ですから、もう少し細かく書いていかないと一年の総括がとんでもない量になってしまうんですよね。1年でまとめしまうと一つ一つのイベントの記述も荒くなり、写真も少なくなってしますし。こういったタイプの記事を書くにあたっては読者のことは意識しないようにしています。「振り返り書いても読む人いないしな〜」みたいなツイートをたまに見かけますが、こういうのは 自分のために書いてナンボ ですよ。もちろん僕の長文を読んでくださる方がいらっしゃるのは嬉しいし、感謝はしているのですがあくまで自分のために書き、読んでくれる人がいたらラッキー、くらいの感じで。 後者に関しては、僕 大曲さんのブログ がめっちゃ好きなんですよ。高専の後半や大学生の頃は大曲さんのブログと 小林さんのブログ を読み漁っていました。大曲さんのブログは、大曲さん自身の興味と世間が読んで面白い内容がどちらも満たされているのがいいですよね。自分はCosenseに色々と学んだことを書くようになりましたが、それを記事用に直すとか、自分自身の意見を書くとか、色々書いていきたいと思います。目標は年4回としておきましょう。

スマブラはそのままですね。スマ納めもいい経験になったので、今年も一回くらいはスマブラのコミュニティ大会のデザインに参加したいです。次はディレクター的立ち回りよりも1デザイナーとして参加したいですね。 そして昨年はフランス語の教室を終えた後は開放感で全くフランス語を勉強しなくなってしまい、日に日に単語を忘れてしまっているのでちゃんと話せるようになりたいなと。もし知り合いや友人がパリに来てくれた時にフランス語話せたらかっこいいですしね。もし パリにいらっしゃる方がいたらぜひお声がけください 。というか何ならヨーロッパでも教えてください。フットワークの軽さが自慢なのでお互いの都合が悪くなければ着いて行きます。英語話者代わりに。 冗談はさておき(実際声かけられたら行きますが)、今年こそ書体を1つ完成させたい…ですね。昨年はRuS Fjernもリリースされたことですし、何らか僕の書体を使える形にしたいと思っています。今考えているのはNarukamiですね。自分の書体にしては割とよくできていると思いますし、NIGHT HIKEでもずっと使っていただいているので。

2024年の振り返り記事では貯金なんてせんと書きましたが、将来的な人生イベントのために多少は準備しておきたいところ。とはいえ、海外に住んでいるとよく聞く新NISAだとiDecoだのは使えないので、何らかの投資信託?的なものを見つけて、定額で貯めていこうかと。軽く調べたのですがよくわからなかったので、もし知見がある方がいらっしゃれば教えてください。 Starfieldのためにコントローラーを買ったと言いつつプレイできていないStarfieldもそろそろやりたいところです。RONINや十三機兵もこの前買って積んでいるので、そういったソロゲーも少しずつ。

3のところでWebサイトを作って作品を出したいと書きましたが、なんだかんだSNSも必要だとは思っています。しかし、Twitterの運用を今から変えるつもりはないですし、アカウントをもう一つ作るのも面倒なのでInstagramの方を 生活用仕事用 共にちゃんと動かしたいとも。どうしてもInstagramが10年やっても染み付いていなくて、見る習慣もなければ投稿も面倒くさがってしまうんですよね。今年こそは、少しずつ。 あと、Cavalryのライセンスを買ったのでモーションもちょっとはできるようにしておきたいですね。Webサイトにも動きを追加したいですし。Lottieとかに書き出して載せられたら一番いいんですが、そこまでできるかどうか。そして、Webサイトを作り直してInstagramもちゃんと活用して、日本からお仕事いただけたらいいなと考えています。今の自分の状況を考えてみると、平日日中7時間、7時間全てでなくとも5時間くらいは書体デザインに携わっていて、知識や技術が貯まると同時にお金も発生するというボーナス状態。そのため、仕事の時間外はいろんなことにチャレンジして行きたいと思います。そもそも税関係が不透明で頼みにくい、というところももちろんあると思うので、前半はWebサイトの準備と同時にその部分もはっきりさせたい考えています。 後は運動。そのままです。フランスの飯、高い分とにかく量が多い。どんどん重くなっている気がするので、スポーツのクラブに入るのかランニングをするのかジムに行くのかわかりませんが何らか運動はしたいなと。幸い環境は近くにありますし。

さて、最後の2つは精神面です。「やりたいこと」ではありませんが……書いてあるとおり自分は謙虚を通り越してだいぶ卑屈な性格をしています。いつ頃からそうなってしまったかはわかりません。大学に編入して同級生に打ちのめされたのか、社会に出て社会人として働く仮定で己の無力さに気付かされたのか。また『嫌われる勇気』からの引用になってしまいますが、会話で卑屈に自分の弱さや無力さを話すことは、相手に「慰め」という行為を強制させる、いわば操作しようとしている状態です。

青年 自慢は劣等感の裏返しだと? 哲人 そう。もしほんとうに自信を持っていたら、自慢などしません。劣等感が強いからこそ、自慢する。自らが優れていることを、ことさら誇示しようとする。そうでもしないと、周囲の誰ひとりとして「こんな自分」を認めてくれないと怖れている。これは完全な優越コンプレックスです。 青年 ……ということは、劣等コンプレックスと優越コンプレックスは、言葉の響きこそ正反対ですが、実際には地続きなのですね? 哲人 明らかにつながっています。そして最後にもうひとつ、自慢に関する複雑な事例も挙げておきましょう。劣等感そのものを先鋭化させることによって、特異な優越感に至るパターンです。具体的には、不幸自慢ですね。 青年 不幸自慢? 哲人 生い立ちなど、自らに降りかかった不幸を、まるで自慢するかのように語る人。そして他者が慰めようとしたり、変化を促そうとしても、「あなたにはわたしの気持ちがわからない」と救いの手を払いのけるような人です。 青年 まあ、そういう人はいますが……。 哲人 こうした人たちは、不幸であることによって「特別」であろうとし、不幸であるという一点において、人の上に立とうとします。 たとえば、わたしの身長が低いということ。これについて、心優しい他者が「気にすることはない」「人間の価値はそんなところで決まらない」と声をかけてくれたとしましょう。しかし、ここでわたしが「お前に背が低い人間の悩みがわかるものか!」と拒絶してしまえば、もはや誰もなにもいえなくなります。きっと周囲の人々は、まるで腫れ物に触るようにして、わたしのことを大事に——いや慎重に——取り扱うようになるでしょう。 青年 たしかに。 哲人 そうすることによって、わたしは他者より優位に、そして「特別」になれるわけです。病気になったとき、怪我をしたとき、失恋で心に傷を負ったときなど、少なからぬ人がこのような態度によって「特別な存在」であろうとします。 青年 自らの劣等感をさらけ出し、あたかも武器のように使うわけですね? 哲人 ええ。自らの不幸を武器に、相手を支配しようとする。自分がいかに不幸で、いかに苦しんでいるかを訴えることによって、周囲の人々——たとえば家族や友人——を心配させ、その言動を束縛し、支配しようとしている。いちばん最初にお話しした引きこもりの方々は、しばしば不幸を武器にした優越感に浸ります。アドラーは「わたしたちの文化においては、弱さは非常に強くて権力がある」と指摘しているほどです。 岸見 一郎, 古賀 史健. 嫌われる勇気 (Japanese Edition) (pp. 76-78). ダイヤモンド社. Kindle Edition.

う〜む。不幸自慢までは行きませんが、自分は無意識的にこういうことをしていたこともあるのではないかと思います。これが学生の頃ならともかく、30が近くなっても卑屈でいるのは非常に良くない。僕は実家が岐阜だっり、海外に住んでいたりという状況から東京には頻繁に行くことができないので、東京に行くときは大体食事の予定をいっぱいに詰め込みます。そしてその相手は数年前はほとんどが年上の先輩とか上司だったものの、最近は学生の方や年下の人も増えてきています。流石に年下の子に慰めてもらうのはダサすぎるでしょう。 また、Podcastをやる過程でもついそういった面が出てしまうこともあります。食事の場なら特にどこかに出ることはありませんから特に続かず流れることも多いかと思いますが、Podcastは相手に反応を求めます。そしてそういうことを言われたら「いやいや、そんなことないですよ」と否定せざるを得ない。これもまた非常に良くないところです。 そしてもう一つ、「偏見をなくす」ことについて。ここに関してはもう一度引用を行いましょう。

青年 大いに認めますね。どうも先生は、競争の短所にだけ注目している。もっと広く考えるのです。学業であれ、芸術やスポーツ競技であれ、社会に出てからの経済活動であれ、われわれは併走するライバルがいるからこそ、更なる努力に踏み出せる。この社会を前に進める力の根底に流れるのは、すべて競争原理なのです。 哲人 そうでしょうか? 子どもたちを競争原理のなかに置き、他者と競うことに駆り立てたとき、なにが起こると思いますか? ……競争相手とは、すなわち「敵」です。ほどなく子どもたちは、「他者はすべて敵なのだ」「人々はわたしを陥れようと機会を窺う、油断ならない存在なのだ」というライフスタイルを身につけていくでしょう。 青年 なぜそんなにも悲観的に考えるのです? 人間の成長にとって、ライバルの存在がどれだけ励みになるか。そしてライバルが、どれだけ頼りがいのある親友となってくれるか、あなたはなにもご存じない。きっと哲学に明け暮れ、親友もライバルもいない孤独な人生を送ってこられたのでしょう。ふふっ、なんだか先生が憐れに思えてきましたよ。 哲人 ライバルと呼ぶべき盟友の価値は、大いに認めます。しかし、そのライバルと競争する必要はひとつもないし、競争してはいけないのです。 青年 ライバルは認めるが、競争は認めない? おやおや、さっそく矛盾しておられる! 共同体の病 哲人 矛盾などありません。人生をマラソンのようなものだと考えてみましょう。自分の隣を、ライバルが併走している。これ自体は励みになったり、心強く感じたりするわけですから、なんの問題もないでしょう。しかし、そのライバルに「勝とう」とした瞬間、様相は一変します。 当初「完走する」や「速く走る」だったはずの目的が、「この人に勝つ」という目的にすり替わってしまう。盟友だったはずのライバルが、打倒すべき敵に変わってしまう。……そして勝利をめぐる駆け引きが生まれ、場合によっては妨害や不正行為にまで及んでしまう。レースが終わったあとも、ライバルの勝利を祝福することができず、嫉妬や劣等感に苦しめられる。 岸見 一郎, 古賀 史健. 幸せになる勇気 (Japanese Edition) (pp. 115-117). ダイヤモンド社. Kindle Edition.

うーむ(2回目)。大SNS時代、全てが数に現れる今このように他人が見えてしまう人は少なくないと思います。自分はRTとかいいねとか、フォロワーの数とかに頓着しないように心がけていますが、それでも数というのは無意識に目に入ってしまいます。新しい人を知った時につい「数」で判断しようとしてしまうとか、「数」を稼ごうとしている人を警戒してしまうとか、そういった現象が起こり得ます。そういった経験が積み重なると、上に述べられているようにまず人を「敵」として疑うところから始めるようになってしまい、無意識に気に入らないところを探し出すようになってしまう。そんなこともあります。 自分もこういった傾向がないとはいえません。なのでこちらも卑屈とセットで直して行きたいなと思います。とりあえず宣言しておけば来年見返せるわけですから、意味はあるでしょう。

他人をブログにリンクする

こんな暗い話題で年賀の挨拶を終えるわけにはいかないので、別の話題を。僕はブログであった人とか影響を受けた人を積極的に言及し、リンクするようにしています。それはなぜか、という話を軽くできたら。 結論だけ簡潔に述べてしまうと、 自分がそれをされたら嬉しいから 、それだけです。 自分が意識的に他人をブログに入れるようになったのは、このWebサイトの最初に記事「ホームページを新しくしました」からです。このサイトを作った時には多感な僕はいろんな人の影響を受けていて、それらを全く述べないのは忍びないというか、感謝やリスペクトを示したいと思い何人かの名前を載せさせていただきました。リンクまでする理由は覚えていませんが、リンクができるのがインターネットのいいところですし。desusi.その後、いろんな人が記事を読んでくださり、その中で「たくさんの人の名前が出てくるところがいいなと読んでいて思った」「言及してもらって嬉しい」などの反応をいただきました。 もちろん、ある程度の配慮はしているつもりです。あまり現実感、実在感を出していない人に会ったときは言及を避けていますし、仕事に関連することで載せないほうが良いだろう、と判断したらその点も書かないようにしています。写真に関しても、顔写真は大丈夫な人以外は出さないようにしています。ちなみに、僕は名前はもちろん写真も全然大丈夫です。撮影側に回ってることが多いために写真ライブラリは人の写真ばっかで自分の写真が全然ないんですよね…よければぜひ撮ってください。 逸れましたが、それ以外に関しては基本的に「嬉しい」という反応をいただくことが多く、消してくれと言われたことは今までにはありません。

なぜ言及してもらえると嬉しいのかを一段深く考えてみたところ、自分の結論としては「人、特にクリエイターは 他人の記憶に残るのが一番の生きがいだから 」なんじゃないかなと。人口が増え続けている今、歴史やその他教科書に載ることは難しい。すごい人は周りを見ればそこかしこにいて、自分の存在を確かめたくなる。だからこそ、人の文章に登場した時に確かに自分の存在が他人の記憶に残っていることを実感できて嬉しいのでは。

こんな風に一応結論づけてみましたが、皆さんがどう考えているかはわかりません。とりあえず僕は他人の記憶に残っていたら嬉しいですし、今後もブログには色々リンクして行きたいと思います。とはいえ、もちろん自分の名前を載せて欲しくない場合は教えてください。逆に写真載せてもいい人も教えてください。 今回はこんなところで。とりあえず1/23から2/18まで日本に帰っているので、いろんな人に挨拶とかご飯とか行けたら嬉しいです。今年もよろしくお願いいたします。