Ephemera / Life • 11th September 2026
1週間X(旧Twitter)をやめてみて感じたこと―コンテンツの濁流から自分を取り戻せ
9/3から9/9の1週間にかけて、呼吸同様に見続けていたX(旧Twitter・以後Twitter・たまに否定的な文脈でXが混ざる)を封印していた。特にスマートフォンを高一の頃に手に入れてから、あるいはもっとその前から、Twitterを見ずに過ごさない日はなかった。ただ、最近はTwitterによって得られるものよりも、気分が下に向いてしまうことが多い気がしていて、そんな中もはや水や米と化しているTwitter1週間絶ってみたらどのような気づきがあるのか、どうなってしまうのかが気になって今回チャレンジしてみた。
結果だけ述べると今の自分にとってはやらない方がいいなと思った。でも、全くやらないとそれはそれで難しいこともあった。今回の経験を通して感じたことを書いていきたい。
Twitterとわたし
僕の記憶が正しければTwitterを始めたのは中学一年生の秋だった。姉は僕が小学生の頃からTwitterをやっていて、海外の人と交流をしていたのを覚えている(またアイコンやロゴが古くて、tがヒみたいになってるやつ)。その時は何が楽しいんだこれと思っていた。自分が始めた目的としては、三重に住んでいて年に数回しか会えない親友がやっていると聞いたからだったと思う。ただ、彼とはTwitterではあまり連絡を取らず、僕は自然とずっとハマっていたソニックのファンコミュニティ(Twitter風に言えば、ソニッククラスタ)で交流をとっていくようになった。
この頃のことを書いてもしょうがないので細かいことはすっ飛ばすが、中学から高専の序盤にかけてはソニッククラスタ内でしっかりクソガキムーブをしつつオフ会に行ったりオフ会を開いたりして、中学3年〜高専にかけてはかずー氏さんというアルファツイッタラーを囲っていた。その間にRubyやHTML, CSSを覚えたりGitHubを使い始めたりインターネットリテラシーをなんとなく覚えたりした。
残念ながら、その時使っていたアカウントは生年月日を登録した際に「おいお前登録した時ガキやんけ」と言われて消えてしまった。今のアカウントは高2の頃に学校用のリアルアカウントとして使ったものが元になっていて、最初は適当なアカウント名をつけていたが大学3年あたりで屋号を考え、wolphtypeになったという経緯がある。
僕の人生とTwitterは切り離せない。前述の通り人とのコミュケーション(?)を学び、プログラミング・コーディングも学び、イベントの情報を得て参加し、タイポグラフィやグラフィックデザインの人と繋がってきた。その間にPCのTwitterクライアントはついっぷる、夜フクロウ、Janetter、Tweetbotへ、iPhoneのクライアントはThe World、Echofon、Hehel1um、夜狐八重奏、Tweetbot等へと移り変わってきた(書きたかっただけ。多分抜けも多い)。NDCにバイトとして入ることになったきっかけも、元を辿れば有馬さんと繋がったTwitterになるだろうし、Twitterを通して得たものは計り知れない。
コロナ禍/Xへの変貌と表・裏の入れ替わり
本来裏であったはずのTwitterが表になってしまったと嘆かれるようになって久しい。そうなってしまったきっかけのひとつはやはりコロナウイルスの到来だろう。そして、Xへの変貌。Twitterクライアントというものはなくなり、おすすめタブが生まれ、インプレゾンビが現れ、人々はアルゴリズムを利用してより自分のポストが見られるように工夫し始め…書いていて悲しくなってきた。まあそうして、Xは社交の場であり、仕事を見せ、募集し、オピニオンを発する表となった。「昔はリアルじゃ言えないことをTwitterに書いていたのに、今じゃTwitterで言えないことを飲み会で喋っている」みたいなツイートを見たことがある人は多いだろう。
そんな中自分がどのようにTwitterを使っているのか。流石にフォローしている1800人のツイートを全て見るのは難しいので、好きな人とかデザイナーが入っている150人くらいのリストを作っていて、「最新(フォロー中)」タブとそのリストをStackというアプリを使って横に列に並べて見ている(かつてはTweetbot、TweetDeck—X Proを使っていたがお金を払うのがバカらしくなって今は公式)。リストのツイートはほぼ全部見ていて、朝起きたら溜まった分を就寝した時間から見直したりしている。最新タブはチラ見くらい。あとは、スマホではおすすめタブも見る。イラストとか犬とかデザインのあれこれとかが流れてくる。
アウトプットの面では、いろいろな人からの影響であまり「デザイナー」的立ち居振る舞いをしないようにしている。NDCで働いていた時は関わらせていただいたお仕事をツイートすることもあったため、乱暴なツイートをしないようになったが、なるべく生活や思考をそのまま出すようにしている。特に『物語化批判の哲学』という本を昨年読んでからは、できるだけ「数」のゲームから降りたいと思い、そういったムーブメントが形成されている。画像欄とかを見ればわかるように、生活を中心にしている。
なお、そもそも自分の働いている業界の面でTwitterをする必要があるのかというと正直ない。Xになってしまった時点で多くの国外書体ファウンダリや書体デザイナーはTwitterから撤退し、いろんなところに分散してしまった。Bluesky, Instagram, typo.social (Mastodon), LinkedInなど。日本の方々はずっとTwitterではあるけれど、そこのコネクションを作る、みたいな意味ではTwitterは残念ながらほとんど機能していない。
落ち込みとX封印
僕が悩みがちでメンタルが弱いのはブログの他の記事を見ればわかる通りだが、悩みは一貫して自信がないことである。特にこの数週間は落ち込みが強くて、その原因の一つにXがあるように感じていた。
まず、タイムラインに流れてくるあらゆるデザイナーの制作物、あるいはデザイナー間の交流を見てなんとなく元気がなくなり、落ち込む。めちゃくちゃ良すぎて落ち込む、悔しいみたいなのも前はあったがあらゆるもので落ち込む。これがなぜかはわからない。実力不足を嘆いているのか、どこか疎外感を覚えているのか、何かの焦りか。勝手にデザイナーをリストで集めといて勝手に落ち込むとは何事という感じではあるが。まあ、これはXが悪いというよりも何らか僕の精神側の問題ではある。
そして、おすすめタブを見ると、イラストとか犬とかに混じってAIの驚きポスト、controversialな―炎上しかけてるようなポストがよく流れてくる。伸びている何かへの不満のポスト。そして更新するとその不満への反論の引用RTが流れてくることがよくある。怖いもの見たさでその返信とか引用とかを見てしまうのだが、人の攻撃性を感じて疲れてしまう。返信には中身のない繰り返しをしているAIもいる。
こういったポストがアルゴリズムでおすすめに流れやすくなっているとは聞いている。人の感情に(悪い意味で)訴えかけるポスト。インプレッションのために感情、攻撃性を食い物にされている話題。結果として、Xを見るとひどく疲れてしまうようになった。ぼーっと15分くらいXを見ると、同じく15分くらい何もできなくなる。一人の社会人として形になっていないような状態が1週間ほど続いてしまった。
そんな日々が続いていた9/2の水曜日、昼ごはんを買いに行っている途中でもう1週間くらい辞めてみるかと思い立った。Xを離れることで自分の悩み、落ち込みがなくなるのか知りたい。そしてそもそも、義務的にXを10年以上見続けているこの生活を突然止めたらどうなるのかという、単純な興味もあった。結果、9/3からの1週間、Xの封印を決行することになった。
また、今年はいろいろなデザイナーの人と毎月数時間話す機会を設けていて、日本に帰ったときなどもいろんな人と話すのだが、大抵の人は「まあ、最近はほとんどTwitter見てないですね〜。たまに見るくらいかな」と仰っていた(少なくとも5人くらいは)。自分にとってTwitterはあまりに日常すぎて、それが少し羨まかった。自分もそういう形にしていくためには一度強硬な策を取る必要がありそう、という狙いもあった。
封印の記録
封印にあたっては、iPhoneのスクリーンタイム機能を使って、1日あたりの使用時間を0にした。MacにおいてもStackからTwitterのタブを消した。途中、PARA GLYPHOTHECAの記事を書くために畔上くんに連絡を取るためDMだけ使ったが、タイムラインは一切見ていない。あとは墨とPathの収録に際して投稿募集のツイートのリツイートをした程度。
他のSNSに関しては避難所として必要かと思い禁止はしなかった。Twitterにいつもしていたポストは、Blueskyと自分のDiscord鯖(デザイン用/オタク用)に流していた。
初日:離脱症状に震える
初日が一番辛かった。Twitterが見れないことに強いストレスがあり、イライラしていた。やはりかなり依存していたのだと感じるし、しっかりと離脱症状が出ることも少し悲しい。そして、自分がいつもいかに無意識にXを開いているかも自覚した。特にDiscordをチェック→閉じてTwitterを開く、という流れが完全に定型化しており、Discordを開いた際ほぼ必ずやってしまっていた。Xのアプリを開くと「You reached the limit today」みたいな表示が出るのだが、初日の1日だけで10回くらいは見た気がする。
2日目:ブログと本を読む
2日目は幾分かウズウズすることも無くなった。結局Twitterはコンテンツを何らか摂取するために開いているのだなと気づいて、別のところから摂取することを考え、実行し始めた。最初がブログで、いつも自分が読んでいる横田さんのブログ(お昼ご飯の記録を書いている 文章が自分には書けない描写で良い)や志村さんのブログ(長めのツイートのような感じで思考が見れて面白い)を読んだ。が、ほとんど普段から読んでいたのですぐ読み終えてしまったし、そもそも毎日更新されるようなコンテンツでもないためこれだけで1週間は厳しいと感じた。なので本を読むことに。少し前に紀伊国屋書店で買った雪さんの本を受け取っていたので、『活字の種をつくった人々』を読み始めた。墨とPathの収録の下準備もあって。

3日目以降:慣れ、平穏が訪れる
3日目以降は特に特筆することはない。普通に仕事をして、漫画読んだりYouTubeを見たりもしながら空き時間や寝る前は本を読むようになった。あとはこっちの知り合いと二郎系のラーメンを食べに行ったり。

良かったこと、辛かったこと
心の平穏
Xの封印によって、前述のメンタル落ち込みはかなり落ち着いた。というか全くなかった。人のポストを見て落ち込んでいるので、そのインプットが全くなくなれば落ち込むことも当然なくなる。封印している最中は平穏そのものだった。
そして、寂しさもそんなになかった。結局自分がTwitterを人との交流に使っていたわけではなかったのだと実感した。リプ欄見てもそんなに人と会話してないし。Discordで十分だった。
他のコンテンツかけられる時間的・精神的余裕ができる
自分は本を相当な数積んでいる。読む時間はあるはずなのに、読めていない。ゲームしたり、動画を見たり、あるいはダラダラとTwitterを見たり…といったことで無駄に時間を使ってしまい、読み方自体も少し忘れているところがある。
ところが今回Xを封印して、4–5日ほどで活字の種をつくった人々を読み切り、もじ部に関しても読み進めることができた。一つはシンプルに時間的な余裕で、Xをダラダラ見ていた10分やその後の無気力な10分をちゃんと読書に充てることができるようになった。自分はいつも24時くらいに寝たいと思っているが、23:30とかにベッドに移って本を読もうとしても、少しTwitterを開くとあと15分とかになって、15分だけ読んでもな…と感じてしまいそのまま読まない、みたいなこともままあった。まとめて時間が取れるようになり、かつ読んでいる最中に開くことも無くなったのは大きい。
そしてもう一つ、精神的な余裕だ。Twitterが見れないウズウズ、何かを摂取したい欲求をそのまま読書に昇華することができた。何より、読み始めることに何もハードルを感じることもなかった。読書以外にも、何か1歩目を踏み出すのが面倒で読んでいなかったジャンプ+やジャンプの新連載の漫画を読み始めることができた。
思うに、Twitterの1つ1つのポストや、そこから掻き乱される感情に細かく疲弊していたのだろう。実際に、封印をやめてからXを久々に見て得た感想は、「なんか見ていると疲れるな、このSNS」だったし…。
ニュースは追えない
一方で、世間には全くついていけている感じはしなかった。特に感じたのはAppleのイベントで、知らないうちにiPhone Duoが発表されていた。Blueskyはまだユーザーが少ないし、YouTubeやInstagramはフォローしている範囲のもの・界隈しかサジェストしないのでそういったニュースを摂取するのはなかなか難しい。
日本に住んでいない自分が日本の政治の情勢を見て、何ならそれに物申したりするのは無敵が故の発言になってしまうのでそういうのはよくないだろうと思いつつ、デザインのイベントや何某が何も入ってこない隔絶感は少しばかり不安があった。
これから―コンテンツとの向き合い方を、能動的にする
Xに復帰してから、明らかに見る頻度は減った。Macで表示するのもリストだけにしたし、無理に追うこともしなくなった。流石に全く接しないとついていけなくなるので、ある程度見はするのだが少しずつ減らしていけたらと思っている。落ち込むならリストも整理してもいいかもしれない。そもそも落ち込むのに問題があるが。
以前見た恐山さんのツイートで、「テキストの内容がなくとも大まかなジャンルとブランクで満足感がある」という動画を見た。その時は、「いやいや…そんなバカな笑」と思っていたが、実際のところ自分もそうだったのかもしれない。スワイプすれば無限に新しい何かが流れてくる。そこで何かしら感情を動かして、細かく薄い満足感を得る。そして少し疲弊する。そんなことをいつの間にか繰り返していたのかもしれない。
意外とこれ見てるだけで満足感がある。 pic.twitter.com/UbcWnEHuac
— ダ・ダ・恐山 そういう人もいる2巻 (@d_d_osorezan) October 12, 2025
自分はショート動画とかはほとんど見ないので、いわゆる世間でいう短いコンテンツしか見れない人を指すアレ(自分はあの名称が嫌いなので書きたくない)ではないと思っていた。しかし、アルゴリズムが、企業がそういう環境を作り出し、取り込もうとしている。そういったコンテンツの濁流に飲み込まれずに、自分の接したいものに真っ直ぐ、能動的に接していくのがこの時代に重要だと感じた。